僕の記憶が正しければですが、アメリカで奴隷解放をした、リンカーン大統領の側近に陸軍の司令官がいたそうです。その陸軍司令官はリンカーンの悪口ばかりいったそうです。たしか、大統領を「猿」とまで呼んでいたそうです。
そんな彼を、リンカーンはいつも自分のそばにおいていたそうです。
そしてあの日、リンカーンが暗殺されます。その時、撃たれた大統領にすぐに駆け寄ったのは、この司令官でした。リンカーンの悪口ばかり言ってきた彼は、大統領のそばに立ち、言ったそうです。
「ここに偉大な大統領が横たわっている」
ある教会で2人の青年牧師たちが、「信仰による義」を説いて、一大リバイバルを起こした時がありました。その時、大反対をしたのが、教会の長年のベテランの方々でした。
「協力していたら、今頃みんなで、天国に入っていた」と言われたぐらいの素晴らしいリバイバルでした。しかし、協力すべき人々の多くが大反対をしたのです。
ある敬虔なクリスチャンの方が、「信仰による義」を受け入れるように何度も何度も嘆願しましたが、ベテランの方々は聞きいれませんでした。返ってそのクリスチャンの方もまた、遠い外国に、飛ばされてしまいます。
結局、リバイバルは未完成のままで終わってしまいました。
何年か過ぎてベテランの長老さんたちが、「わたしたちは間違っていた」と悔い改めます。
この記録を読んだ時、「えー、今頃!もう遅いよ、悪魔に用いられただけじゃない」なんて僕は思っていました。
ところが、先ほどの外国に飛ばされたクリスチャンの方は、「彼らを優遇しよう」「もう以前の彼ではない」と文章を書かれます。その中で最も反対した1人の方が、教会から離れて、そして再び教会に戻り、教会の機関紙の編集長の筆頭に名前があがった時・・・「涙を流して喜ばれた」と記録されています。
先ほどの敬虔なクリスチャンの方にさえ、大反対してまわりに悪口ばかり言っていた方がいました。
長年の主の御奉仕を終えられ、このクリスチャンの方が亡くなられたとき、彼女を批判し、悪口ばかり言っていたこの方が、泣き叫んだと記録されています。
「ああ、1人の敬虔なクリスチャンの方が亡くなられた」と。
僕もまた・・・キリスト教に反対してきた1人なのです。
イエス様・・・マルティンルターさんや、ジョンウェスレーさん、ヨハンフスさん、コルベ神父、ジョン・バニアンさん、ウィクリフ、フローレンスナイチンゲール、トマスモア、聖フランチェスコそのほか数え切れないクリスチャンの方々が喜んでその人生を、また命をささげられた御方、
イギリスの国王はイエス様を褒め称える「ハレルヤコーラス」を聞いた時、立ち上がって王の王に敬意を表したとか・・・
そして、今もなお、この曲が流れる時、大勢の人が立ち上がって王の王を褒め称えます。
シュヴァイツァー博士はこの御方のため、アフリカに行かれ、マザーテレサもまた、この御方を愛するがゆえにインドにいかれました。歴代のアメリカの大統領はナザレのイエス様の御名によって手を上げて宣誓され、ジョン・ニュートン他、世界の科学を導いてこられた多くの科学者たちがこの御方に学んできました。
~アダムは言うであろう。「それは蛇の頭を砕く女のすえ」であると。
アブラハムに問うならば、彼はあなたに答えるであろう。それは「サレムの王メルキゼデク」、「平和の王」であると。
ヤコブはあなたに言うであろう、彼は「ユダ族のシロ」であると。
イザヤはあなたに言うであろう。「インマヌエル」、「霊妙なる議士」、「大能の神」、「とこしえの父」、「平和の君」であると。
エレミヤはあなたに言うであろう。「ダビデの若枝」、「主はわれわれの正義」
ダビデはあなたに言うであろう。「彼はメシヤである」と。
ホセアはあなたに言うであろう。彼は「万軍の主、その名は主である」と。(ホセア書12-5)
バプテスマのヨハネはあなたに言うであろう。「世の罪を取り除く神の子羊」であると。
偉大なエホバの神様は御座より宣言された。「これは、わたしの愛する子」であると。
わたしたち、弟子は宣言する。「これはイエス様、メシヤ、命の君、世のあがない主である。」と。
そして、暗黒の力の君でさえ、彼を認めて、言うのである。「あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」 マルコ1-24
年老いたおじいちゃんも、おばあちゃんもこの御方を賛美し、子供達もこのお方を褒め称えます。
病床でも、またお亡くなりになる前でさえも賛美の声が聞こえます。
僕でさえも・・・宇宙で一番・・・人間の思いをはるかに超えた大きな愛に溢れた主イエス様を褒め称えるのです。
2026年3月16日月曜日
人生の意味
久しぶりにちょっとだけ、長い証にします
「人間は人生の真の目的をほとんど理解していない。きらびやかな外観に魅惑されている。世俗的に卓越することを熱心に求め、そのために人生の真の目的が犠牲にされる。人生における最善のもの、すなわち、単純、正直、真実、純潔、高潔等は金銭で売買できないものである。それは学者にも無知な者にも、また地位の高い政治家にも貧しい労働者にも自由に与えられる。神様は富める者も貧しい者も一緒に楽しむことができる喜び、純潔な思い、無我の行動をするときに起こる喜び、また同情ある言葉を語り、親切な行いをすることによって生ずる喜びをすべての人のために備えておられるからである。こうした奉仕をする人からはキリストの光が輝きいで、多くの影で暗くなった人生を明るくする。」
キリスト教でとってもありがたいことの1つは、資格がいらないこと・・・
牧師の免許も、伝道師の免許もいらないです。ましてやお金をいっぱいもっていたり、医療の特別な資格も必要ではありません。むしろ、無邪気な子供の方がはるかに優秀な伝道者?あるキリスト教の病院では、教会に導かれた人を調査すると、導いた人はお掃除をされていらっしゃる方々が一番だったそうです。「医者はほとんどいません」と報告されていました。クリスチャン医師の方、ごめんなさい。すべての病院ではないと思います?
健康であっても、病気であっても、貧しくても、働き場所はあるようです。
ところが、やっぱり(^^;)・・・資格はあるようです。
「神様は真理を進めるために一般に奇跡を働かれるのではない。もし農夫が土を耕すことを怠れば、神様はその当然の結果に反するような奇跡は行われない。神様はわれわれの知っている大原則に従って働かれる。ゆえに、賢明な計画が熟して、その手段が実行され、それによって神様が確実な結果を与えてくださるようにすることがわれわれのなすべき分である。賢明な努力をせずに、聖霊に行動をしいられるまで、ただ待っているような人々は、暗黒のうちに滅びるのである。あなたはじっとすわって、神様の働きを何もせずにいてはならない。」
「使命は、たいくつな、気のぬけたようなことばで伝えられるのではなく、はっきりと、確実に感動させられるような言葉で伝えられなければならない」
「マルタのような人たちが熱心に宗教活動をする広い分野がある。しかし彼らをまずマリヤといっしょに、イエス様の足下にすわらせなさい。勤勉と敏速と精力をキリストの恵みにおってきよめなさい。そのとき、そのような生活は、征服されることのない善の力となるのである」
「宗教的な働きの単調さを破る必要がある。われわれはこの世で1つの仕事をしているのであるが、十分な活気と熱意を示していない。もしわれわれがもっと熱心であれば、人々はわれわれのメッセージの真理を認めるはすである。神様への奉仕に気力がなく、単調なために、深く、熱心な、きよめられた熱意を見せなければならない高い階級の人々の多くに不快を感じさせるのである。」
「正直であるがせっかちで衝動的な人々は、痛切な説教が与えられると、われわれと共にいない人々のぶっきらぼうに話しかけて、われわれがそういう人々に受け入れてもらいたいと望んでいる真理をその人々にとっていとわしいものにさせてしまう。「この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりもりこうである」事業家や政治家は礼儀を学ぶ。自分たちをできるだけ魅力的にするのが彼らの政策である。彼らは自分たちの周囲にいる人々の心に最も大きな影響を与えるような話し方や態度をとるように研究する。彼らはこの目的を達成するために自分たちの知識と才能をできるだけじょうずに用いる」
「ときどき、よく準備され、研究されたことばが少しも感化を与えないことがある。しかし自然の単純さで語られた神様のむすこ、娘の、真実で正直な話は、キリストとその愛に対して長く閉じられてきた心の扉を開く力をもつのである。」
「異常な環境のものに霊的歓喜を示すからといって、それがクリスチャンであることの結論とはならない。きよいといることは歓喜ではない。それは神様のみこころに完全に服従することである。それは神様のみ口から出る一つ一つのことばによって生きることである。それは天父のみこころを行うことである。光の中にある時ばかりでなく、試みや、暗やみの中にあるときにも神様に信頼することである。それは見えるものによらないで、信仰によって歩くことである。それは疑いのない確信をもって神様にたよることであり、神様の愛の中に身を落ち着けることである。」
「ネヘミヤは神様の助けを懇望する一方、エルサレムを回復するという目的を遂げることに、彼にはこれ以上心配も責任もないと感じて、ただ手をつかねているようなことはしなかった。実に立派な慎重さと用心深さで、その企ての絶対的な成功を得るために必要なあらゆる準備をととのえることにとりかかった。あらゆる行動には非常な用心深さが目立っていた」
「奉仕のために男女を選ぶにあたって、神様は、学問があるとか、雄弁であるとか、世的な富があるとかをお尋ねになるのではない。神様は「わたしが彼らにわたしの道を教えることができるような謙遜さで歩くだろうか。わたしは言葉を彼らのくちびるにおくことができるだろうか、彼らはわたしを代表するだろうか」とおたずねになる。」
資格や免許は大はやり、一人で10個以上も持っている方もいらっしゃいます・・・
イエス様から賜う資格も・・・持っている人は、ひとりでいっぱい持っているようです。
「人間は人生の真の目的をほとんど理解していない。きらびやかな外観に魅惑されている。世俗的に卓越することを熱心に求め、そのために人生の真の目的が犠牲にされる。人生における最善のもの、すなわち、単純、正直、真実、純潔、高潔等は金銭で売買できないものである。それは学者にも無知な者にも、また地位の高い政治家にも貧しい労働者にも自由に与えられる。神様は富める者も貧しい者も一緒に楽しむことができる喜び、純潔な思い、無我の行動をするときに起こる喜び、また同情ある言葉を語り、親切な行いをすることによって生ずる喜びをすべての人のために備えておられるからである。こうした奉仕をする人からはキリストの光が輝きいで、多くの影で暗くなった人生を明るくする。」
キリスト教でとってもありがたいことの1つは、資格がいらないこと・・・
牧師の免許も、伝道師の免許もいらないです。ましてやお金をいっぱいもっていたり、医療の特別な資格も必要ではありません。むしろ、無邪気な子供の方がはるかに優秀な伝道者?あるキリスト教の病院では、教会に導かれた人を調査すると、導いた人はお掃除をされていらっしゃる方々が一番だったそうです。「医者はほとんどいません」と報告されていました。クリスチャン医師の方、ごめんなさい。すべての病院ではないと思います?
健康であっても、病気であっても、貧しくても、働き場所はあるようです。
ところが、やっぱり(^^;)・・・資格はあるようです。
「神様は真理を進めるために一般に奇跡を働かれるのではない。もし農夫が土を耕すことを怠れば、神様はその当然の結果に反するような奇跡は行われない。神様はわれわれの知っている大原則に従って働かれる。ゆえに、賢明な計画が熟して、その手段が実行され、それによって神様が確実な結果を与えてくださるようにすることがわれわれのなすべき分である。賢明な努力をせずに、聖霊に行動をしいられるまで、ただ待っているような人々は、暗黒のうちに滅びるのである。あなたはじっとすわって、神様の働きを何もせずにいてはならない。」
「使命は、たいくつな、気のぬけたようなことばで伝えられるのではなく、はっきりと、確実に感動させられるような言葉で伝えられなければならない」
「マルタのような人たちが熱心に宗教活動をする広い分野がある。しかし彼らをまずマリヤといっしょに、イエス様の足下にすわらせなさい。勤勉と敏速と精力をキリストの恵みにおってきよめなさい。そのとき、そのような生活は、征服されることのない善の力となるのである」
「宗教的な働きの単調さを破る必要がある。われわれはこの世で1つの仕事をしているのであるが、十分な活気と熱意を示していない。もしわれわれがもっと熱心であれば、人々はわれわれのメッセージの真理を認めるはすである。神様への奉仕に気力がなく、単調なために、深く、熱心な、きよめられた熱意を見せなければならない高い階級の人々の多くに不快を感じさせるのである。」
「正直であるがせっかちで衝動的な人々は、痛切な説教が与えられると、われわれと共にいない人々のぶっきらぼうに話しかけて、われわれがそういう人々に受け入れてもらいたいと望んでいる真理をその人々にとっていとわしいものにさせてしまう。「この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりもりこうである」事業家や政治家は礼儀を学ぶ。自分たちをできるだけ魅力的にするのが彼らの政策である。彼らは自分たちの周囲にいる人々の心に最も大きな影響を与えるような話し方や態度をとるように研究する。彼らはこの目的を達成するために自分たちの知識と才能をできるだけじょうずに用いる」
「ときどき、よく準備され、研究されたことばが少しも感化を与えないことがある。しかし自然の単純さで語られた神様のむすこ、娘の、真実で正直な話は、キリストとその愛に対して長く閉じられてきた心の扉を開く力をもつのである。」
「異常な環境のものに霊的歓喜を示すからといって、それがクリスチャンであることの結論とはならない。きよいといることは歓喜ではない。それは神様のみこころに完全に服従することである。それは神様のみ口から出る一つ一つのことばによって生きることである。それは天父のみこころを行うことである。光の中にある時ばかりでなく、試みや、暗やみの中にあるときにも神様に信頼することである。それは見えるものによらないで、信仰によって歩くことである。それは疑いのない確信をもって神様にたよることであり、神様の愛の中に身を落ち着けることである。」
「ネヘミヤは神様の助けを懇望する一方、エルサレムを回復するという目的を遂げることに、彼にはこれ以上心配も責任もないと感じて、ただ手をつかねているようなことはしなかった。実に立派な慎重さと用心深さで、その企ての絶対的な成功を得るために必要なあらゆる準備をととのえることにとりかかった。あらゆる行動には非常な用心深さが目立っていた」
「奉仕のために男女を選ぶにあたって、神様は、学問があるとか、雄弁であるとか、世的な富があるとかをお尋ねになるのではない。神様は「わたしが彼らにわたしの道を教えることができるような謙遜さで歩くだろうか。わたしは言葉を彼らのくちびるにおくことができるだろうか、彼らはわたしを代表するだろうか」とおたずねになる。」
資格や免許は大はやり、一人で10個以上も持っている方もいらっしゃいます・・・
イエス様から賜う資格も・・・持っている人は、ひとりでいっぱい持っているようです。
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