僕が小学校のころ・・・友達と一緒に図工室に扉を開けて入りました・・・入ってすぐ左、黒板の隣に一人の人の非常にむごたらしい絵が飾ってありました。その方は手と足に釘打たれて血を流している絵でした。
何も知らない僕でした・・
思わず友達に「こんな死に方はしたくないねえ」と言います。
友達は無言・・・
まさか、20年以上過ぎて、「あの絵をもう一度見たい」と思うようになるとは・・・
大学の恩師の憲法の教授・・・メイフラワー号でアメリカにわたった清教徒の話をします。
「信仰のために国を捨てた・・・みなさん、これが簡単なことだったと思わないでください。やつら本気だったんだ。その証拠に初めの冬に、彼らの半分は死んでる」
「しかしねえ、アメリカで友人が自然を見せてくれた時、これらが自然につくられたと思う?と聞かれた時、信じたねえ」
民法の教授は聖書にはかなり精通していて、講義の時には、ペテロさんの話や、ユダの話まで出ました。そして「人間って言うのは、先生、先生と言われるたびに馬鹿になっていくものだ・・・だから何十年言われているわたしなんていう人間は・・・」と苦笑い・・・
専門学校で生物の先生、ある時、広島に原子爆弾が投下された時、奇跡的に守られたクリスチャンたちの話を聞き、授業が突然進化論から創造論に変わりました。「古代の海の・・・」の進化論が・・・「アダムとエバかね」と学生に講義・・・
その方は長崎ご出身の先生・・・クラスメート1/6が原爆症で次々なくなられたそう・・・きっと心に思うものがあったのかもしれません。
「わたしの兄弟たちよ。あなたがたの多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人よりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身を制御することのできる完全な人である。」
それでもなお・・・先生の職に献身されていかれる方々が・・・いらっしゃることを知っています。
周りの人々に反抗している子に、一人のクリスチャンが切々と話していたのをいつも思い出します。
「先生を助けなさい。あなたは先生一人を批判しているけど、先生は40人みなくちゃいけないのよ」と・・・
先生を助けるとは?・・・その一つは勉強など困っている級友を助けること・・・すると自分もよく勉強が理解できるようになるそうです。
教会と同じかも。「先生を助けなさい・・・」ということは困っている人を助けること??
しかし、え~伝道なんてできない、と回れ右!でした・・・
「伝道は説教だけではない。病気と苦しみにある人々を和らげ、困っている人々を助け、落胆している人々や信仰の弱い人々に慰めの言葉を語る者は伝道しているのである。」
とっても力になった言葉でした。
心の中に描かれたイエス様の十字架のお姿・・・そのお姿が心の中に残っているのは・・
「わたしたち教師が、他の人よりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。」
「それでもなお」と・・献身された多くの先生方のおかげです。
2009年12月15日火曜日
途中でやめない
「必要なのは熱心なクリスチャンの熱意である。―何かを行うことによって示される熱意である。・・・ナイアガラ瀑布の流れを止めることができないように、キリストを身につけている人に対して、主をあかしすることを妨げることはできない。」
僕の見てきたクリスチャンたち、それは決して「止める」とか「後退」ありませんでした。「とどまるな、前進!」は合言葉・・・
集会も始めたら何十年やめません。教会の近隣の掃除も始めたら決して止めることはありません。奉仕はそれこそ365日・・当然お盆も夏休みもありませんでした。
しかし、・・・いつも、いつも口々にお詫びをされていました。
「こんな者で、ごめんね」「イエス様、大人のわたしたちの模範が悪くて、若い人たちが苦しんでいます。」
熱心になって・・・何をするのだろう・・・・人はとっても間違えやすいものです。
聖書はいつも正しい道へ導いてくださいます。
熱心になって悔い改めなさい・・・
僕の見てきたクリスチャンたち、それは決して「止める」とか「後退」ありませんでした。「とどまるな、前進!」は合言葉・・・
集会も始めたら何十年やめません。教会の近隣の掃除も始めたら決して止めることはありません。奉仕はそれこそ365日・・当然お盆も夏休みもありませんでした。
しかし、・・・いつも、いつも口々にお詫びをされていました。
「こんな者で、ごめんね」「イエス様、大人のわたしたちの模範が悪くて、若い人たちが苦しんでいます。」
熱心になって・・・何をするのだろう・・・・人はとっても間違えやすいものです。
聖書はいつも正しい道へ導いてくださいます。
熱心になって悔い改めなさい・・・
最後の厳粛な働き
最後の厳粛な働きには、えらい人たちはほとんどたずさわっていない。彼らは自己満足し、神様によりたのまないので、神様は彼らをお用いになることができない。主は忠実なしもべたちを持っておられるが彼らはふるわれて試みられる時に人々の目の前にあらわれる。バアルにひざをかがめなかった尊い人々がいまはかくされている。彼らはあなたがたの上に集中された輝きとなって輝いている光を持っていなかった。だが粗野な、魅力のない外面の下に真のクリスチャン品性の輝きが、あらわされることがある。昼間は、天を見ても星は見えない。星は大空に固着してそこにあるのだが、目には見わけられない。夜になると、その真の光輝がみられるのである。
各々の魂に試みがやってくる時はそんなに遠くない・・・そのとき、教会の中では金とくずとが分けられる。真の敬虔とそのまねやめっきとがはっきり区別される。われわれがその光輝を称賛した多くの星がそのときやみに消え去る。豊かに穀物の床しか見えなかったところからさえ、もみがらが雲のように風にのってはこび去られる。聖所の飾りだけを身に着けて、キリストの義を着ていない者はみな自分の裸の恥をさらしながら現れる」
こういう事は、確かにあることです・・この文書をみて、自分が、えらい、星だ、金だ、ふるわれていない、と思っているときは、心配に?・・・ふるわれたらどうしよう・・・しかし、心の貧しさを感じているときは、悩んでいるときは、励ましになります。同じ文章見ても・・・違うものですね。
「将来ふるわれたらどうしよう」
「信仰は今、信仰は今よ」「今日、今日でいきるのよ」「明日のことを思いわずらうなでしょ。」
太平洋戦争のとき、天皇を神と認めず、イエス様を神様と信じたために投獄された牧師さん「わたしたちは、指一本怪我しただけで、痛いものですよ。しかし殉教者の徳は彼らがその徳が必要となるときまで与えられなかった。その徳が必要となった時、それが与えられたのですよ。」
「今日が最後の日であっても、わたしはりんごの木を植える」
今日という日、いえいえ、今という時にイエス様と一緒に歩むことが、一番です。
もしこれらの言葉がなかったら、何十年も、いえ一生不安の中で過ごしたかも・・生きた信仰者の方々の証は尊い宝物です。
各々の魂に試みがやってくる時はそんなに遠くない・・・そのとき、教会の中では金とくずとが分けられる。真の敬虔とそのまねやめっきとがはっきり区別される。われわれがその光輝を称賛した多くの星がそのときやみに消え去る。豊かに穀物の床しか見えなかったところからさえ、もみがらが雲のように風にのってはこび去られる。聖所の飾りだけを身に着けて、キリストの義を着ていない者はみな自分の裸の恥をさらしながら現れる」
こういう事は、確かにあることです・・この文書をみて、自分が、えらい、星だ、金だ、ふるわれていない、と思っているときは、心配に?・・・ふるわれたらどうしよう・・・しかし、心の貧しさを感じているときは、悩んでいるときは、励ましになります。同じ文章見ても・・・違うものですね。
「将来ふるわれたらどうしよう」
「信仰は今、信仰は今よ」「今日、今日でいきるのよ」「明日のことを思いわずらうなでしょ。」
太平洋戦争のとき、天皇を神と認めず、イエス様を神様と信じたために投獄された牧師さん「わたしたちは、指一本怪我しただけで、痛いものですよ。しかし殉教者の徳は彼らがその徳が必要となるときまで与えられなかった。その徳が必要となった時、それが与えられたのですよ。」
「今日が最後の日であっても、わたしはりんごの木を植える」
今日という日、いえいえ、今という時にイエス様と一緒に歩むことが、一番です。
もしこれらの言葉がなかったら、何十年も、いえ一生不安の中で過ごしたかも・・生きた信仰者の方々の証は尊い宝物です。
生活編
ある方がおっしゃいました。「教会にいるときは白、家族と一緒にいる時は灰色・・・一人でいるときは黒・・・」心の状態(心の色?)の事を話されていたのでした。
この手の話は(も?)女性の方がはるかに得意・・・かなり楽しい証がいっぱいあります。劣勢を意識しつつ書いていこうかな?
僕が伝道旅行に連れて行っていただいた時です。ある教会に入り、礼拝の後昼食が終わります。自然と証会になっていきました。僕も証の中に・・・話の流れの中に話そうとしたけど、話せない、あれ、おかしいな・・・よしもう一度・・・どうしても言葉が出てきません。すると僕の視線が足元に・・・
「わ!」なんとトイレのスリッパをそのまま履いて集会室に出ていたことに気づきます。
何食わぬ顔をして?静かに立ち上がり、トイレへ、そこでおいてあった部屋用のスリッパに履き替えて何知らぬ顔をして、集会へ・・・
するとなめらかに証に入っていくことができました。
もし、そのままイエス様の証をしていた後で、「あれ、それトイレのスリッパですよ」なんて言われたら、どんな証をしていても印象はガタ落ち・・他のクリスチャンの方々の証の力まで損なっていたかも・・・
ある文書伝道者の家に行くと、部屋はちらかしっぱなし、汚い!庭も草ぼうぼう・・・う~ん・・・
逆に、ある伝道者の方が、かばんを空けたら、すべてきれいにつまっていて、周りの人が「この人は本物だ」と思われたとか・・・
あんまり悩んで、悩んで、答えが出ない時には、それこそ、頭だけが空回り・・・いい答えが出ません。そこで足元を・・・すると意外な突破口を発見します。
こういう証、いえ話を書いていると「あの~、あんまりレベル下げないでよ」と言われそう・・・
あるクリスチャンの有名な言葉・・・
「整理、整頓、清潔はクリスチャンのモットーである」
「より良いものを、それが教育の合言葉である」
さて、ちょっと片付けようかな・・・??
この手の話は(も?)女性の方がはるかに得意・・・かなり楽しい証がいっぱいあります。劣勢を意識しつつ書いていこうかな?
僕が伝道旅行に連れて行っていただいた時です。ある教会に入り、礼拝の後昼食が終わります。自然と証会になっていきました。僕も証の中に・・・話の流れの中に話そうとしたけど、話せない、あれ、おかしいな・・・よしもう一度・・・どうしても言葉が出てきません。すると僕の視線が足元に・・・
「わ!」なんとトイレのスリッパをそのまま履いて集会室に出ていたことに気づきます。
何食わぬ顔をして?静かに立ち上がり、トイレへ、そこでおいてあった部屋用のスリッパに履き替えて何知らぬ顔をして、集会へ・・・
するとなめらかに証に入っていくことができました。
もし、そのままイエス様の証をしていた後で、「あれ、それトイレのスリッパですよ」なんて言われたら、どんな証をしていても印象はガタ落ち・・他のクリスチャンの方々の証の力まで損なっていたかも・・・
ある文書伝道者の家に行くと、部屋はちらかしっぱなし、汚い!庭も草ぼうぼう・・・う~ん・・・
逆に、ある伝道者の方が、かばんを空けたら、すべてきれいにつまっていて、周りの人が「この人は本物だ」と思われたとか・・・
あんまり悩んで、悩んで、答えが出ない時には、それこそ、頭だけが空回り・・・いい答えが出ません。そこで足元を・・・すると意外な突破口を発見します。
こういう証、いえ話を書いていると「あの~、あんまりレベル下げないでよ」と言われそう・・・
あるクリスチャンの有名な言葉・・・
「整理、整頓、清潔はクリスチャンのモットーである」
「より良いものを、それが教育の合言葉である」
さて、ちょっと片付けようかな・・・??
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