久しぶりにちょっとだけ、長い証にします
「人間は人生の真の目的をほとんど理解していない。きらびやかな外観に魅惑されている。世俗的に卓越することを熱心に求め、そのために人生の真の目的が犠牲にされる。人生における最善のもの、すなわち、単純、正直、真実、純潔、高潔等は金銭で売買できないものである。それは学者にも無知な者にも、また地位の高い政治家にも貧しい労働者にも自由に与えられる。神様は富める者も貧しい者も一緒に楽しむことができる喜び、純潔な思い、無我の行動をするときに起こる喜び、また同情ある言葉を語り、親切な行いをすることによって生ずる喜びをすべての人のために備えておられるからである。こうした奉仕をする人からはキリストの光が輝きいで、多くの影で暗くなった人生を明るくする。」
キリスト教でとってもありがたいことの1つは、資格がいらないこと・・・
牧師の免許も、伝道師の免許もいらないです。ましてやお金をいっぱいもっていたり、医療の特別な資格も必要ではありません。むしろ、無邪気な子供の方がはるかに優秀な伝道者?あるキリスト教の病院では、教会に導かれた人を調査すると、導いた人はお掃除をされていらっしゃる方々が一番だったそうです。「医者はほとんどいません」と報告されていました。クリスチャン医師の方、ごめんなさい。すべての病院ではないと思います?
健康であっても、病気であっても、貧しくても、働き場所はあるようです。
ところが、やっぱり(^^;)・・・資格はあるようです。
「神様は真理を進めるために一般に奇跡を働かれるのではない。もし農夫が土を耕すことを怠れば、神様はその当然の結果に反するような奇跡は行われない。神様はわれわれの知っている大原則に従って働かれる。ゆえに、賢明な計画が熟して、その手段が実行され、それによって神様が確実な結果を与えてくださるようにすることがわれわれのなすべき分である。賢明な努力をせずに、聖霊に行動をしいられるまで、ただ待っているような人々は、暗黒のうちに滅びるのである。あなたはじっとすわって、神様の働きを何もせずにいてはならない。」
「使命は、たいくつな、気のぬけたようなことばで伝えられるのではなく、はっきりと、確実に感動させられるような言葉で伝えられなければならない」
「マルタのような人たちが熱心に宗教活動をする広い分野がある。しかし彼らをまずマリヤといっしょに、イエス様の足下にすわらせなさい。勤勉と敏速と精力をキリストの恵みにおってきよめなさい。そのとき、そのような生活は、征服されることのない善の力となるのである」
「宗教的な働きの単調さを破る必要がある。われわれはこの世で1つの仕事をしているのであるが、十分な活気と熱意を示していない。もしわれわれがもっと熱心であれば、人々はわれわれのメッセージの真理を認めるはすである。神様への奉仕に気力がなく、単調なために、深く、熱心な、きよめられた熱意を見せなければならない高い階級の人々の多くに不快を感じさせるのである。」
「正直であるがせっかちで衝動的な人々は、痛切な説教が与えられると、われわれと共にいない人々のぶっきらぼうに話しかけて、われわれがそういう人々に受け入れてもらいたいと望んでいる真理をその人々にとっていとわしいものにさせてしまう。「この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりもりこうである」事業家や政治家は礼儀を学ぶ。自分たちをできるだけ魅力的にするのが彼らの政策である。彼らは自分たちの周囲にいる人々の心に最も大きな影響を与えるような話し方や態度をとるように研究する。彼らはこの目的を達成するために自分たちの知識と才能をできるだけじょうずに用いる」
「ときどき、よく準備され、研究されたことばが少しも感化を与えないことがある。しかし自然の単純さで語られた神様のむすこ、娘の、真実で正直な話は、キリストとその愛に対して長く閉じられてきた心の扉を開く力をもつのである。」
「異常な環境のものに霊的歓喜を示すからといって、それがクリスチャンであることの結論とはならない。きよいといることは歓喜ではない。それは神様のみこころに完全に服従することである。それは神様のみ口から出る一つ一つのことばによって生きることである。それは天父のみこころを行うことである。光の中にある時ばかりでなく、試みや、暗やみの中にあるときにも神様に信頼することである。それは見えるものによらないで、信仰によって歩くことである。それは疑いのない確信をもって神様にたよることであり、神様の愛の中に身を落ち着けることである。」
「ネヘミヤは神様の助けを懇望する一方、エルサレムを回復するという目的を遂げることに、彼にはこれ以上心配も責任もないと感じて、ただ手をつかねているようなことはしなかった。実に立派な慎重さと用心深さで、その企ての絶対的な成功を得るために必要なあらゆる準備をととのえることにとりかかった。あらゆる行動には非常な用心深さが目立っていた」
「奉仕のために男女を選ぶにあたって、神様は、学問があるとか、雄弁であるとか、世的な富があるとかをお尋ねになるのではない。神様は「わたしが彼らにわたしの道を教えることができるような謙遜さで歩くだろうか。わたしは言葉を彼らのくちびるにおくことができるだろうか、彼らはわたしを代表するだろうか」とおたずねになる。」
資格や免許は大はやり、一人で10個以上も持っている方もいらっしゃいます・・・
イエス様から賜う資格も・・・持っている人は、ひとりでいっぱい持っているようです。
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