僕は牧師でも、宣教師でもないですので、聖書の意味を解き明かすなんて無理です。しかし、それでも聖書は本当に素晴らしい恵みいっぱいの本です。
聖書の中にある種まきのたとえ、4つの畑、道端、石地、茨の地、良い畑・・・。僕なら、絶対に良い畑だけに蒔きます。道端に落ちたら拾って良い畑へ・・・。ところが、種を蒔かれるイエス様は、4つのすべてにお播きになられます。そんなこと無駄じゃない、結果ももうわかっているのに。初めから終わりまで見通される御方が誰よりもご存知なのに?
いろいろな人々と証をしていると、びっくりすることがあります。ビジネス界でバリバリに働いていらっしゃる方、「やくざ」まがいの会社?の方、いわゆるキャリアウーマン、朝から晩まで夜遅く夜中まで働いていらっしゃる方々、
だんだん話が進むと、意外なくらい聖書を知っています。
小さいころ、幼稚園が、大学が、ミッション系だった、ご家族がほとんどクリスチャンだった。特定の宗教は持っていないけれど、人間を超えた存在を信じている方々、かなりいらっしゃいます。
種を蒔かれるお方は、人間とは到底およびがつかないくらい大きな愛をもって、一人、一人の人生に種を蒔いておられるのがわかってきました。
誰が蒔いたのかな?以前は超自然的な方法で?と思っていました。
ある時、「誰かが」蒔いたんだ!と当然の事に気付きました。誰かが祈り、誰かが勇気をもって、誰かが時間を割き、伝えたのです。
引用文ですが・・・
このため、ワルデンセスの宣教師は、関心を持った人々に福音の尊い真理を熱心に伝えた。彼らは聖書の写本の一部を用心深く取り出した。刑罰の執行官のようにいかめしく構え、報復のみを行う神しか知らず、罪悪感に襲われ、いつも恐れおののいている人々に希望を与えることは、彼らにとって何よりの喜びであった。彼らは感動に唇をふるわせ、目に涙を浮かべながら、そして時折ひざまずいて、罪人の希望を告げる尊い神様の約束を彼らの同胞に読んで聞かせた。こうして真理の光は暗黒の中にある無数の人々の心を照らし、覆いかぶさるような暗雲を取り除き、ついには、その光にことごとく癒す力がある義の太陽が彼らの心にさし込むようになった。しばしば聖書のある部分は、くり返し何度も何度も読むことを相手から望まれた。あたかもそれが聞き違いではないかと確かめているようであった。特に次のような聖句は何度もくり返して読むように要求された。「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」「そして、ちょうどモーセが荒野でへびをあげたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」
道端の地は、人の足で、あるいは車輪で押し固められた心とも言われます。人は、打たれているうちに、心を閉じてしまったり、防衛本能で固めてしまっていることがとっても多いようです。よく「こわ~い看護婦さん」と言われますが、一応?彼女たちも「白衣の天使」を目指した?方々、ところが患者さんに怒鳴られたり、厳しい現実に出会い、「鬼になっている?」ケースも多いようです。そして、内心かなり葛藤している・・・。
お金のことしか興味がない?と思える「茨の地」(勝手にきめこんでいるのでしょう)方々でさえ、「一度も、誰にも心を開いたことがないのですが」と言いながら、心の中にある神様について話してくださったり・・・。超一流のメーカー営業マンでさえ、「親にも、家族にいえない心の闇」を持っていたり・・・。少なくとも、イエス様が「良い地だけ」に種をまかれていたら・・・、「おちこぼれ」はこの世にいなかったでしょう。
こんな言葉が大好きです。
「おそらく、あなたが顧みないその時こそ、彼らがあなたの同情を最も必要としている時である」
悪魔も馬鹿じゃないです。必要な魂がいるときには、周りの人がそれに気がつかないように働きます。
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