2009年12月15日火曜日

先生

僕が小学校のころ・・・友達と一緒に図工室に扉を開けて入りました・・・入ってすぐ左、黒板の隣に一人の人の非常にむごたらしい絵が飾ってありました。その方は手と足に釘打たれて血を流している絵でした。

何も知らない僕でした・・
思わず友達に「こんな死に方はしたくないねえ」と言います。
友達は無言・・・

まさか、20年以上過ぎて、「あの絵をもう一度見たい」と思うようになるとは・・・

大学の恩師の憲法の教授・・・メイフラワー号でアメリカにわたった清教徒の話をします。
「信仰のために国を捨てた・・・みなさん、これが簡単なことだったと思わないでください。やつら本気だったんだ。その証拠に初めの冬に、彼らの半分は死んでる」

「しかしねえ、アメリカで友人が自然を見せてくれた時、これらが自然につくられたと思う?と聞かれた時、信じたねえ」

民法の教授は聖書にはかなり精通していて、講義の時には、ペテロさんの話や、ユダの話まで出ました。そして「人間って言うのは、先生、先生と言われるたびに馬鹿になっていくものだ・・・だから何十年言われているわたしなんていう人間は・・・」と苦笑い・・・

専門学校で生物の先生、ある時、広島に原子爆弾が投下された時、奇跡的に守られたクリスチャンたちの話を聞き、授業が突然進化論から創造論に変わりました。「古代の海の・・・」の進化論が・・・「アダムとエバかね」と学生に講義・・・
その方は長崎ご出身の先生・・・クラスメート1/6が原爆症で次々なくなられたそう・・・きっと心に思うものがあったのかもしれません。

「わたしの兄弟たちよ。あなたがたの多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人よりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身を制御することのできる完全な人である。」

それでもなお・・・先生の職に献身されていかれる方々が・・・いらっしゃることを知っています。

周りの人々に反抗している子に、一人のクリスチャンが切々と話していたのをいつも思い出します。
「先生を助けなさい。あなたは先生一人を批判しているけど、先生は40人みなくちゃいけないのよ」と・・・
先生を助けるとは?・・・その一つは勉強など困っている級友を助けること・・・すると自分もよく勉強が理解できるようになるそうです。
教会と同じかも。「先生を助けなさい・・・」ということは困っている人を助けること??

しかし、え~伝道なんてできない、と回れ右!でした・・・
「伝道は説教だけではない。病気と苦しみにある人々を和らげ、困っている人々を助け、落胆している人々や信仰の弱い人々に慰めの言葉を語る者は伝道しているのである。」
とっても力になった言葉でした。

心の中に描かれたイエス様の十字架のお姿・・・そのお姿が心の中に残っているのは・・

「わたしたち教師が、他の人よりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。」

「それでもなお」と・・献身された多くの先生方のおかげです。

0 件のコメント:

コメントを投稿