2009年11月10日火曜日

滅びるのは難しい

「信仰による義とは、実際的な行為であって、単なる理論ではありません。それは、実際には大変な悪人なのに天国に入れてしまうというのではなく、そうする必要がないようにつくり変えるのです」 「信仰によって義とされる、とは律法を行う者につくり変える、ということです」

ある日、僕が教会員の人に話していました。「僕なんか、死んだほうがいい」と。教会の人は一生懸命説得してくださっていました。

聖書には、「あなたがたは神様の宮であって、神様の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。もし人が、神様の宮を破壊するなら、神様はその人を滅ぼすであろう」と書いてありました。
さて、その週の安息日、そんなことはつゆとして知らない、一年に一度いらっしゃる牧師さんが礼拝説教でした。

礼拝説教の内容はなんと「自殺してはいけない」でした。「ああ、この教会は神様がご支配されておられる」と痛感しました。

その話の中で、ある少女が学校でいじめられていました。もう、いよいよ自殺しようとしたその日、何気なく最後に学校の机の中に手を入れると、一枚の手紙が入っていました。
そこにはこう書いてありました。「自分だけだ、と思わないでね・・・」。この一枚の手紙により彼女は助けられました。

主は一人の罪人を救うため、礼拝説教まで導かれるのだと思いました。そして、その後も無数のお恵みにより「生きる喜び、希望ある人間」へつくり変えてくださいます。これは、ただ陰の祈るクリスチャンの方々がいらっしゃったおかげです。
もちろん、つくり変えられるのは「自殺」ばかりではありません。私たちの罪は髪の毛よりも多いのですから・・・。

しかし、裏切った時にも、逃げたときにも、主はそこで待っておられました。「主の恵みはあなたを追う」とあります。

「カラスの子が神様に向かって呼ばわり、食物がなくて、さまようとき、カラスにえさを与える者はだれか」。この御方は食事をも備えたもうお方です。(迫害や病で食事も食べられず苦しんでいらっしゃる方いらしたら、ごめんなさい。)
神様は人を救われるために追われます。そこから、「滅びる」ことは本当に難しいです。

1日振り返っただけでも、主のお恵みは溢れるばかりに見つかります。
スズメたちは、いつも主を賛美しています。明日は枯れて、火に投げ入れられる草木も同様です。しかし、罪に固まるとそれすらも見えなくなってしまいます。
祝福ってどういう心にそそがれるのでしょうか。「ああ、自分は罪ばかりだ、罪の奴隷だ、絶望だ!」という心?しかし、主は「自分は、豊かになった、何の不自由も無い」と思っていたら素通りされていかれるように思います。

「罪人であるわたしをお許しください」と涙ながらに叫ぶとき、「イエス様助けて!わたしたちは死にそうです」と叫ぶとき、主イエス様の祝福が一番近くに感じられるようです。

悔い改めとはギリシャ語で「メタノエオー」。考えが変わるという意味だそうです。すなわち、魂がイエス様に向きなおることだそうです。

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