聖書の中にイエス様の4つの畑のたとえがあります。
道端に落ちた種
石地
茨の地
そして良い畑
僕が農業やるなら100%、良い地にしかまかないだろうな。しかし、あえて種は4つの畑にまかれています。しかも、「種」とは「一粒の種、もし死ななければ」とイエス様の犠牲を指しています。
自分の心が人に踏みつけられて「道ばた」のように固く思える時も、鳥が来て種を取っていってしまうように思われる時でも、石地のように思える時も、いばらの地に見えるときも、イエス様は種をお蒔きになられるようです。
悔い改めのくわをもって固い地を耕かし、自我の石を取り除き、いばらを抜きながら、前進です。
また、道端にも種をまかれるイエス様のことを思うとまだまだやることが、たくさんあることに気づきます。「あの人、道ばただから、いばらいっぱいだから・・・」と外見で判断してはならないようです。
僕の好きな言葉の中に「あなたがかえりみないその時こそ、その魂があなたの同情を最も必要としている時かも知れない」というものがあります。
反対している人でさえも・・・
血液の中の酸素の量を調べる機械にパルスオキシメーターというものがあります。今、ほとんどの病院で使用されていて、救急医療も含めて多くの人々の命を救っています。これは日本人の発明です。
それを開発者が学会で初めて発表したときに、その学会の座長がその器械に猛反対したそうです。後で、ある人がその座長に聞きました。「先生、どうしてあの時反対されたのですか?」
先生が答えたそうです。
「あまりにも素晴らしい発明だから、反対した」
イエス様の弟子たちから、猛反対を受けた「ナルドの香油」のお話もまた、イエス様が預言されたように全世界に伝えられ、至るところにその香りを放っています。
反対されたり、迫害の証を読むとき、「えーやだー、こんな目に会いたくない」と思う時は、何にも戦っていない時です。
人生の常である、躓いたり、失敗したり、反対を受けたり、上手くいかなかったりする、すなわち最も証を必要とする時、その時に最も力をいただくのは「雄々しく戦ってきた聖徒の方々の姿」です。
また相手が「許せない!」との超醜い罪深い心に勝利するのは(いろいろありとあらゆる事をやりましたけれど)、イエス様が十字架に架けられておられる中で、「父をお許しください、彼らは何をしているのか、分からずにいるのです」と仰せになったお姿でした。
心に「全て許し」と思うこと、それともう1つ「1万タラント借金」のたとえに関して、「この恩知らずの僕は自分が貸したお金のことばかり考えていた」との言葉でした。
(今は絶版「豊かな人生の秘訣」福音社 たしか英語名CHRIST’S OBJECT LESSONS 、当時ドイツかどこかの女王からも著者に丁寧なお礼状が届いた、とっても良い本です。)
心が解放されるありがたさ、これはその醜さ、罪深さを知っているだけに本当にありがたいものです。
この心の解放を告げるために、「山に、河に、町に、村に、道端に、石地に、茨の地に、身は炎に焼かれながらも」福音は伝えられています。
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