「暗黒にいる人に聖書を開きなさい。そうすればあなたは、真理のために働くことにあきたり、興味を失ったといって不平をもらすことはないであろう。あなたの心は魂を切望することを悟るであろう。そして信仰のさまざまなあかしの中にいるよろこびが心に満ち、「物惜しみしない者は富み、人を潤す者は自分も潤される」
聖書の御言葉・・それは文字通り神様の御言葉であり、御言葉の中に、人を再創造する素晴らしい御力が宿っています。ですので「おちこぼれ」には聖なる御言葉の前に、ただ畏れおののく者・・・牧師さんや、伝道者さんにお任せしたい事柄です。
ああ、主よ、お許しください、地に属するもの・・塵に等しい者です
主の御言葉はあまりに聖い・・・そして永遠に続くものです。
と思いますが・・・
「主なる神は言われる、わたしは悪人の死を好むであろうか。むしろ彼がおこないを離れて生きることを好んでいるではないか」
「あなたがたがわたしにおこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか。わたしは何人の死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」
世の中は・・悪人が死ぬと大喜び・・・やっと空気がきれいになった・・・
「ざまあ、みろ!」・・・
ところが天にそうではない方がおられます。
「わたしは何人の死をも喜ばない」
天国ではもはや病なく、痛みなく、涙がない・・・
しかし、ある方の証・・・
「人類は決して滅んではならないのです。なぜなら、イエス様の傷は・・・
永遠にわたって失われた者のために痛むからです。」
人生には、自分の存在が重荷に思うときもあります。
しかし、天ではそう思っておられない御方がいらっしゃるようです。
「しかもイエス様がしのばれたすべてのこと―その頭と手と足から流れた血のしたたり、その肉体を苦しめた苦痛、天父のみ顔がかくされたときにその魂を満たした言いようのない苦悩―それらは人類の子らひとりびとりに向かって、神様のみ子がこの不義の重荷を負うのを承諾されるのはあなたのためであり、死の支配をたちきって、パラダイスの門を開かれるのはあなたのためであると訴えている。荒れ狂う波をしずめて、泡立つ大波の上をあるかれたおかた、悪鬼をふるえあがらせ、病気を追い出されたおかた、めくらの目を開き、死人をいのちによみがえらせたおかた―が、いけにえとしてご自分を十字架上にささげられる。しかもそれはあなたを愛されるからである。罪を負うおかたであるイエス様が、神様の正義の怒りをしのび、あなたのために罪そのものとなられる。」
罪、仕事がない、病気などなど暗いトンネルにいる時は、ずっとこのまま続くのか・・と思っていました。
しかし・・・信じられないことかもしれませんが・・・
もしかしたら、状況は変わらないとしても、心を変えて救ってくださいます。
「夜明けは、必ず来るのである」
0 件のコメント:
コメントを投稿